貧困者支援系のNPOで働いているアメリカ人の友人と話していた時。
ふと、なぜその仕事をしているのか?と聞いてみたら、「神との対話で決めた」的なことを言われて、一瞬言葉につまりました。アメリカは当然ながらクリスチャンの国ですが、私は無意識のうちに「途上国に行った時に、こんなことがあって…」とか、「子どもの時の体験で…」的な答えを期待したんですよね。そういう個人的なストーリーが聞けると思ってたんです。
日本でもそういったNPO的な活動をしている友人が何人かいますが、みんなそれぞれなぜ自分がそれに関わっているのか?というストーリーや理由がある。NPOじゃなくても、仕事とか趣味とかに打ち込んでいる人は何かしら自分がなぜそれを好きなのかっていう理由を説明できる。「原体験」がある。
就職活動の時に自己分析をして、社会人になっても自己啓発だとか、自分はどんな人間で何をしてきてこれから何をすべきでそれは何故なのか…って分析しなくちゃいけないみたいな気になりますが。私もそういうの、好きな方なんですが、それって絶対必要なわけではなくて。みんながすごい原体験を持てるわけでもないし、明確に自分を分析できるわけでもないですよね。日本の就活の志望動機で、「神との対話」はふつう「使えない」わけですが、そういうのってけっこうしんどいかもしれない。
前に橘玲さんがブログで「アメリカ人と神」というテーマで、金融危機の時の米財務長官(元ゴールドマンサックスCEO)ヘンリー・ポールソンの逸話を書いていました。金融危機のまっただ中で、敬虔なクリスチャンであるポールソンとその妻がこんな会話をしているんですよね。
「金融システムが壊滅したらどうなるのだろう。世の中から一身に注目されているというのに、打開策が見えてこない。恐怖で胸が詰まりそうだ」
「恐れなくてもいいわ。あなたの務めは神の御心、無窮の心に沿うこと。神のご加護に頼ればいいでしょう」
このへんの感覚は、なかなか一般的な日本人には理解しにくい。
もうすぐ、サンフランシスコに来てから1ヶ月が経ちます。海外にいると、ふとしたことでもいろんな違いを感じておもしろいです。
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